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宮司講話集

「松坂の一夜」 
 昭和63年11月10日 大和祭にて


 本日は皆様、大変お忙しいところ、又、大変ご遠方のところ、大平和敬神の十八年記念祭にご参列賜りまことに有難うございました。お蔭をもちまして今年の大平和敬神祭も滞りなく執り行う事ができ、心より厚く御礼申し上げます。

 修養団捧誠会は全国各地に神石和石を建立されており、皆様それぞれ各地にご旅行になり、その土地の会員の方々と交流を深め各地の神石和石を参拝されている事と存じます。私事でございますが、全国各地の宮司さん方である会を作っており、毎年一度一泊旅行をいたしまして、各地の神社を参拝しております。今年度は浜松に参りました。浜松と申しますと、浜名湖とうなぎ位しか存じませんでしたが、色々と由緒のある神社を参拝いたしました。その中で県居神社という神社がございまして、賀茂真淵翁をお祭りしてあります。附属の博物館があり、賀茂真淵に関する資料がたくさん展示されておりました。
 その中に戦前の尋常小学校の国語読本巻十一の「松坂の一夜」の挿絵の原画が飾ってありました。説明を伺いますと、江戸時代の大国学者本居宣長は、古事記や万葉集等の日本の古典はそれが生まれた時の日本人の心になって読まなければならない、後から入ってきた中国の思想や仏教思想をもとに唐心で読んだのでは本当の事はわからない、やまと心で素直に読みたいと考えておりましたが、当時は儒学全盛の時代ですべての学問は幕府お墨付きの儒教の教えが基本であるとされておりました。そういった時、賀茂真淵と松坂で一夜会う機会を得、色々と学問のすすめ方について教えを受けました。若き本居宣長は自分の考えてきた事のすべてを根本から理解し共鳴してくれる人に初めて出会い、又、賀茂真淵翁も自分の考え教えをすべて理解し吸収してくれる青年の出現に互いに文字通り肝胆相照らしたということであります。二人はこの後一生の間、二度と再び相まみえる事はございませんでしたが、本居宣長は死ぬまで賀茂真淵を師と仰いだそうであります。
 
 人間はお互いに本当に理解しあう事、心の底から共鳴しあう事はなかなかないもので何十年連れ添った夫婦でも互いに相手の事が全くわかっていなかったと愕然とする事もよくある話であります。一生つきあったという事より、一日だけのつきあいでもその深さが重要なのでしょう。

 私は、この浜松の県居神社で、ふと捧誠会の出居清太郎教祖と大本教の出口王仁三郎師との出会いは現代の「松坂の一夜」であったと感じました。僅か一日か二日しか面会していないのに、出居教祖は建勲神社の境内は出口王仁三郎師と一夜語りあかした思い出の地であると繰り返し繰り返しおっしゃった事を考えました。若き出居清太郎と建勲神社の青年神職出口王仁三郎とは互いの心の奥の奥まで共鳴しあい、それによって互いに自分の信念に自信をもった一生に一度あるかないかのまことに意義深い出会いであったに違いない、まさにこの建勲神社の境内は宣長真淵の松坂の一夜と同じであると私には思われます。

 この出居教祖ゆかりの地に本日皆様お集まりになり、今一度初心にかえって教祖の御教えをかみしめられた事は大変意義深いことだと存じます。どうか修養団捧誠会が今後名実共に益々発展され、内容のしっかり整ったすばらしい修養団へ着実に進まれん事を、又、本日大平和敬神の神石のもとにお集まりいただきました心ある皆様方がますますお幸せにすごされます様にお祈り申し上げ、私の挨拶とさせて頂きます。

(以上)