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宮司講話集

「京都の玄武の守りとされる船岡山」 
 平成20年10月19日 船岡大祭にて


 本日は皆様船岡大祭にご参列賜りまことに有難うございます。船岡祭は織田信長公が天下統一の為始めて上洛された永禄11年10月19日にちなむお祭で、毎年この日に西陣各学区の皆様により執り行われて参りました。本日はご祭神直系に当られます織田信孝様を始め各地からもゆかりの方々のご参列を得て執り行うことができ、まことに有難うございます。

 さて建勲神社の大神様が鎮まりますこの船岡山は今より1200年余り昔、京都に都が定められる際、北の測量基準になったことで有名であります。この船岡山の真南に大極殿、朱雀大路ができ、当時大陸から伝わってきた風水の説に基き、この新しい都を北方より船岡山が守っているとされています。しかしこんな小さな船岡山が京都全体にどんな作用をしていて、どう守っているのか、北の守り玄武の守りについて色々な説がありますが、私も半信半疑に存じておりました。
 最近ある本に面白い説が載っておりましたので、皆様にご披露させて頂きます。船岡山は東西に長い楕円形の山ですが、全山固い岩盤で出来ており、この岩盤は地下を真直ぐ東に伸び、烏丸通の先まで達しています。烏丸通の東側にある烏丸中学の校庭に岩盤の露頭があって、その先は急角度で地中に没しています。この東西に随分長く伸びている岩盤の存在は地下に地震を引き起こす活断層がないことの証であって、昔の人は平地にぽっこりと浮き出た船岡山のような小山は大抵全山岩盤であってその周辺は地震の害の少ないことを知っていて玄武の神の守り等と言い伝えているのではなかろうかという事であります。なかなか面白い説であります。

 玄武とか朱雀とか都市全体を占う風水の説の他、一軒一軒の家の吉凶を占う地相や家相に関しても、鬼門、裏鬼門、玄関の向き、便所の位置等色々と言い伝えがあります。又、中国古代の家相書『黄帝宅経』とか、江戸時代多田鳴鳳の『洛地準則』とか多くの書物があります。それらをじっくり読んでみると、大半のものは単なるゴロあわせや一地方の特殊な事例を一般化したものであって全く信ずるに足りません。しかし全てが迷信という訳でなく、いつの世にも万人に当てはまる合理的な貴重な智恵もあります。そういったものは日常においてしっかり活用していきたいものであります。

 さて船岡山のこの頂上には建勲神社の社殿が建っています。細かく分けると本殿、拝殿、社務所等10棟ございます。この10棟の建物と麓の大鳥居がこの程5月7日付文部科学省の告示で全て国の登録文化財に指定されました。お蔭様でまことに有難うございました。これら指定を受けた10棟の建物のうち5棟の建物の屋根が檜皮葺でありまして昨年本殿等3棟、今年こちらの神饌所1棟の屋根の檜皮葺を新しく葺き替えさせて頂きました。後一つ残った拝殿の檜皮屋根は来年葺き替えたいと存じます。来年の船岡祭は神社創建140年記念船岡祭となりますが、その折、皆様に全ての屋根の葺き替えが整った社殿をご披露できればと存じております。

 本日は皆様ご多忙の中ご参列賜り、お蔭様で今年も船岡祭を滞りなく執り行う事ができまことに有難うございました。建勲神社の大神様のあらたかなご加護の下、益々ご健康にお過ごしの程お祈り申し上げます。有難うございました。

(以上)