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宮司講話集

「建勲神社の狛犬」 
 平成9年10月19日 船岡大祭にて


 本日は皆様大変お忙しいところ船岡祭にご参列賜りまことに有難うございます。船岡祭はご祭神織田信長公が始めて上洛され、天下統一の第一歩を記された永禄11年10月19日にちなむお祭で、建勲神社の創建当初より、北区上京区を中心として各学区の皆様により執り行われて参りました。各学区の代表の方々を始め、本日ご参列の皆様のお力により、今年も船岡祭を滞りなく執り収める事が出来、心より厚く御礼申し上げます。ご多忙の中、毎年毎年皆様がこのようにご参列賜り、建勲神社の大神様を心から敬って頂ける事により、ご神威が弥増し、本当に有難い事でございます。

 さて今年4月建勲神社に大きな狛犬が一対奉納され東参道入口、山のふもとに置かれました。奉納されたのは左京区にお住まいの井上早苗さん90歳と琴子さん87歳 ご夫妻で、結婚65周年を記念し健康長寿を感謝して奉納なさいました。本日井上様ご夫妻がお元気に参列頂いており、ご紹介申し上げます。どうぞお立ち下さい。
 
 建勲神社には3年前にも狛犬が奉納されました。その折はご祭神信長公の出身地であります愛知県の石を使い、若き日の信長公を彷彿とさせる猛々しい威厳にあふれた姿で山頂のこの拝殿前に設置されました。この度は信長公が早くから南蛮文化に目を向けられ、遠くローマにまで使節を送られた事に鑑み、海外の石を使う事となり、狛犬のデザインも茫洋とした雰囲気につくられ、胸飾りに信長公の木瓜の神紋がつけられました。3年前の山頂の狛犬と今回のふもとの狛犬とそれぞれに特色をもって対照的なものとなりました。

 狛犬といえば戦前の国定教科書の「コマイヌサン ア コマイヌサン ウン」の影響で神社と狛犬は切っても切れない関係にあるように見えますが、実は神社に狛犬が入ったのは平安末期の頃と考えられています。平安時代の宮中儀礼を定めた書物に「獅子は左側で口を開き、狛犬は右側で口を閉ず」と書かれております。宮中の調度品としての獅子狛犬が神社にも取り入れられ、ご本殿のすぐ前に小型の木製のものが置かれたのが始まりであります。それが神社の精神である祓えの思想、悪いもの、けがれを祓い清めるという信仰と一体となって、大ていの神社に狛犬が置かれるようになりました。
 鎌倉時代に入ると狛犬は非常に力強く写実的で今にも歩き出しそうなものとなり、徳川時代になると時代風潮を反映して、急に力強さが衰えて、スタイルも民芸調や怪獣のようなおどけたものが多くなりました。明治に入って再び鎌倉様式の力強いものが好まれるようになりました。建勲神社の狛犬は二対共、鎌倉様式の古代型であります。

 ご祭神信長公にふさわしい立派な狛犬が2組も相ついで奉納され境内が賑やかになり大変有難い事と存じます。又、絵地図や由緒書の看板も充実してまいり、今後共、境内あちこちがより賑やかになればと念じる次第であります。

 本日は皆様ご参列頂き本当に有難うございました。どうか皆様には大神様のあらたかなご加護を受けられ、益々ご健康にご発展なさいますようお祈り申し上げます。有難うございました。

(以上)